翔洋碑


沖縄県立水産学校
(水産鉄血勤皇隊)
県立水産の生徒たちのうち、鉄血勤皇隊は第四遊撃隊に、通信隊は沖縄守備軍(第三十二軍)司令部に配属され、勤皇隊は恩納村の恩名村の恩名岳で情報収集など後方任務に、通信隊は首里で通信任務についていました。
戦況の悪化により、勤皇隊は6月上旬に本島北部の国頭へ、通信隊は5月下旬に本島南部の摩文仁へ撤退しました。戦況がさらに悪化し、勤皇隊に7月中旬に解散命令が出されましたが、通信隊では解散命令が出されずに摩文仁の司令部壕の死守が命じられ、米軍の猛攻撃を避けられず、多くの犠牲者を出しました。

動員された教師2名と生徒約48名のうち教師1名、生徒31名が戦死。学徒隊以外に教師7名、兵役で招集された生徒5名、その他22名、計66名が戦死しています。

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