沖縄工業健児之塔


沖縄県立工業学校
(工業鉄血勤皇隊・工業通信隊)
沖縄県立工業学校の生徒たちのうち、鉄血勤皇隊は入隊予定の部隊から連絡がなく解散になり、通信隊は第五砲兵司令部の通信隊に配属され首里一帯で通信任務についていました。戦況の悪化により、通信隊は5月下旬、本島南部の摩文仁へ撤退しました。戦況がさらに悪化し、6月下旬に解散命令が出されましたが、米軍の包囲網を突破できず多くの犠牲者を出しました。

動員された教師7名、生徒97名のうち、85名が戦死。学徒隊以外に生徒70名、計165名が戦死しています。

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